とある日。
同じチームで働いていた若手の管理栄養士さんが退職することになった。まだ社会人2年目の彼女。
新卒で入った病院で、慣れない仕事に必死に取り組み、気づけば委員会や業務の多くを一人で抱えるようになっていた。
周囲にいたもう一人の先輩は年配のパート職員。
厳しくはないが、あまり指導やサポートをするタイプでもなく、
現場の業務の多くは若手の彼女に自然と流れていった。
それでも彼女は愚痴もこぼさず、静かに頑張っていたように思う。
そして退職が決まったその日。
最後のカンファレンスが終わると、看護師たちが代わる代わる言葉をかけていた。
「本当に辞めるの?まだ考え直せるんちゃう?」
「ここまで頑張ってきたのにもったいないよ」
「せめて次が決まるまでは…ね?」
その言葉に込められていたのは、彼女への思いやりというよりは、
「辞められると現場が困る」という職場側の都合だったように感じた。
正直言って、あれは“引き止め”という名の自己都合の押しつけやった。
職場の人間関係って難しい。
でも、自分の都合や感情を相手にぶつけて「残ってほしい」と願うのは、
その人の人生や選択を尊重していないということにもなる。
しかも彼女はまだ若く、これから新しい環境でチャレンジしたい時期や。
その背中を「引っ張る」のではなく、「押してあげる」方が、
よっぽど心に残る関わり方なんちゃうかなと感じた。
カンファレンスが終わったあと、
僕は周囲のバタバタした空気が落ち着いたタイミングを見て、そっと声をかけた。
「ちょっとしたお菓子と、今後の人生に役立つと思う本を渡すな」
「頑張れよ。応援してるから、困ったことあったらいつでもLINEしてきいや」
それだけの短いやり取り。
でも、“戻ってきて”ではなく、“進んでいけ”というメッセージを込めたつもりやった。
辞める人の本当の理由は、表には出てこないことも多い。
「結婚して引っ越す予定なんです」
「まだ次は決まってなくて…」
そんな言葉も、本当かどうかなんてわからん。
でもそれでええねん。
自分を守るための方便や建前は、あって当然やし、それを深く詮索することが一番野暮や。
大事なんは、「どう去るか」より「どう送り出すか」やと思う。
引き止めたい気持ちはわかる。
でも、それってほんま誰のためなんやろう?
大変な状況の中で踏ん張ってきた若手が辞めるとき、
それはわがままでも逃げでもない。
もしかすると、それはずっと出せなかった「助けて」のサインやったかもしれん。
その声を、ちゃんと聞ける大人でありたい。
引き止めよりも、背中をそっと押せる存在でありたい。
最後に一言
初めて就職した職場が、こんなかたちで終わってしまったこと。
彼女にとってどれほど苦しかったか、想像するだけで胸が痛む。
願わくば、この経験が今後のトラウマにならず、
「あの時、優しく背中を押してくれた人もいた」
そんな風に、ほんの少しでも前向きな記憶として残ってくれたら嬉しい。